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 獣にこい


 沢田綱吉の好きな相手はけもののようなひとだった。好きなひと、と呼ぶにはどこか憚られる。幼く稚い憧憬混じりの恋心を抱いていた女の子のことを想う時、胸の切なささえどこか甘く柔らかかった。恥ずかしささえも檸檬の匂いがした。現実との差異に落ち込みはしても、抱く感情は滑らかで心を傷つける棘はなかったのだ。
 ヒバリさん。その名を恐る恐る舌に乗せるだけで、ひりついた痛みの幻が走る。切ないというより苦しいし、どこが好きなのか考えるだけで頭が痛いし、何故好きになったのか自分を省みるのは石だらけの硬い地面を掘るより難行だった。もしかしたら、の甘い世界を空想することさえ出来やしない。恋に気づいてしまった瞬間と失恋の穴に胸がすうすうするのが同時なんて笑うしかないじゃないか。だってまず、意思疎通の方法から図らなければならない相手だ。幸いなことは性別云々を悩むよりも、あのひとはそもそも誰かに恋をするのかという疑問から立ちはだかることだろうか。それはある種の絶望だったけれど、断絶は即ち性別なんていう生まれ持ったどうしようもないもので切り捨てられるやるせなさより、手を伸ばすことさえ出来ない距離に悩めばいいという安堵だった。目の前で幸運な誰かに嫉妬する苦悩より、星に手を伸ばす徒労の方がいい。綱吉は諦めも早いし受け入れるのも早いから、叶わない恋情を呑み込むのも呆れるくらい簡単だったけれど、胃の腑の中でいつまでもチクチク暴れられるより、鉛のようにずっしりと居座られる方がマシだった。後ろ向き結構。諦めは早いけれど割り切れない人間だから、擦り切れてもしぶとく抱え込むだろう。綱吉の手には入らなくても、誰のものでもなく凛と一人で駆けて行く、その背を眺めていられればいい。けもののようなひとだから、人の世の理なんかに縛られず、ただ自分の思うままに。多分その生き方に、目を奪われたのが始まりなのだから。

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恋、請い、あるいは

(18.05.27)


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